| NWに住む森国人は全て魔法と医療の技術を根幹に保有しており、その発展の方向性によって各国は独自性を得ている。 玄霧藩国は魔法医療,ゴロネコ藩国は白魔法,海法よけ藩国は錬金術,世界忍者国は忍術・・・。 > 補足:世界忍者国は人狼領地との合併前はイグドラシルに魔法使いの枝を保有していたが現在は破棄され、魔法でも医療でもない忍びの技が発展している。 そして同じように、るしにゃん王国にも、そういった独自の方向性がある。 医療においては薬学に最も力を注ぎ、忍者の系列の発展として竜猫の剣を鍛え、弓兵の弓をつくり、国内には多くのアイテムを扱う有名な商店がある。 そう、るしにゃん王国は、アイテムづくりの国であった。
森国人にとって、アイテムづくりは非常に関わりの深いものである。 伝説では自然と共存し、人と妖精、人と精霊の間に立つ者として、思いをこめたものづくりによって超常の力を宿すことができるといわれていた。 るしにゃん王国はその系譜を想起することができたといえよう。
もちろん、思いをこめただけで簡単にマジックアイテムが作れるほど、るしにゃんの民は神がかってはいない。 精霊回路を用いた強引な魔法の導引もしない。儀式や類似魔術の理論を用い、その技法をもって精霊と心で対話し、魔法の力を道具の中におろすのだ。 あくまで魔法の道具は精霊と語り合って編み上げるもので、人の都合と身勝手で精霊を振り回すことのないようにするべき、と考えている。 ゆえに彼らが魔法や精霊を感じない者、あるいは低物理域の観点をないがしろにする者に自らの道具を渡すことはまずない。 そして彼らは機械製品を作ることはないし、機械と魔法との合作品を作ることもない。 森国人のもつ機械への忌避観はアイテム作りでも正しく受け継がれているといえる。
これら自戒と慎重を重ねたものづくりの姿勢は、彼らがTLOの危険性、うかつに魔法や絶技に頼ることの危なさについて、経験からくる深い造詣があるためである。 T10の頃にあった国の75%が消失した事件を受けて、二度と同じように行き過ぎたものを生み出さないようにしようと考えているのだ。 技術などいらぬと原始的な生活に帰ろうとするほどの経験と気質は文化的な再興を果たしつつある今でも正しく受け継がれ、 今もなお、文明・技術の在り方について考え続けているのだ。
また、日常において彼らの道具づくりは自分達の日用品や特別な装飾品と医療品、あるいはもしもの備えの武具(剣・弓矢・焦点具など)であることが多い。 それは自らや同胞が使うことを想定したアイテムであり、機械の介在しない文明において、機械の代わりに日常の生活を助けるものである。 そのため、彼らは自分達で作り出したものへの扱いにも長けていた。
そして大事なこととして、彼らはマジックアイテムを作り、使いこなすことの代償であるかのように、個人で絶技を持たない。 絶技もまたTLOの1つであるという認識から封印しているのだ。 やもすると、魔法も絶技の1つとして唱えられないのかと思われるが、詠唱と絶技は異なる物であるため詠唱戦は普通に行うことができる。 るしにゃん王国民の大自然と精霊との対話の積み重ねで生み出される詠唱魔法は、世界を破壊しないよう世界の仕組みの中に収められた技法なのである。
とはいえ、彼らは魔法をみだりに使うことはしない。 出来うる限りを自らの力でこなし、どうしても人の手で届かないところに、最小限の力で最大限の結果を導けるように魔法とそれを宿した道具を用いる。 るしにゃんにとって、魔法とは自然の力の結晶にも異なるが等しい。自然とは共存するべきだが、そこに全てを依存するべきではない。 技術に対して自律する心が、いまのるしにゃん王国の文化の礎となっているのだ。
#a. T10のころにあった国の75%が消滅した事件から、いきすぎた物を生み出さないよう、自戒と慎重を重ねたものづくりをしている。(高TLアイテムへの自戒) #b.魔法・マジックアイテム作りには精霊回路を使わないと明記する。(魔法体系の設定を悪意ある方向に解釈されないため) #d.機械製品は作らない・触らない・合作しない(機械と魔法の混合によるTLO回避) #e.一定レベル以上の作成品を国外の者(特に非森国・低物理国家に)に譲渡・販売すること、また国外の人に見られてのそういったアイテム作成の基本的な禁止(技術流出による国外でのTLO作成の抑止。でも封印の矢のような万一の危険回避や、産業としての立脚ができるように。) #f.上記制限がある代わりに、国内で作られたアイテムの取り扱いは得意である(長所として。弓の取り扱いも含む。)
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